ノーモア・ミナマタ第2次訴訟の原告たち
私たちが現在たたかっているノーモア・ミナマタ第2次訴訟において、実際に法廷で訴えた水俣病被害者の声をお聞きください。
濱崎フクエ
昭和12年
熊本県天草郡姫戸町(当時)生まれ
手のしびれ、物を落とす、つまずき転ぶ、指がつる、耳鳴り、めまい…ずっと悩んできた症状が水俣病のせいだと知ったのは2年前でした。
赤嵜澄男
昭和24年
鹿児島県出水郡長島町(当時)生まれ
手足のしびれやふらつきで、誇りだった大工の仕事を辞めました。
金子一則
昭和17年
熊本県天草郡新和町(当時)生まれ
父を早くに亡くした私は小学5年から網元の乗り子として働きました。救済された近所の別の網元の乗り子と何が違うのでしょうか。
大石強
昭和9年
熊本県天草郡姫戸町(当時)生まれ
私の住む姫戸町と隣町の龍ヶ岳町は何が違うのでしょうか。
永山巌
昭和7年生まれ
昭和28年頃~昭和43年頃鹿児島県大口市(当時)在住
大口市というだけで、なぜ救済されないのですか。
濱崎晴男
昭和22年
熊本県天草郡宮田村(当時)生まれ
手のしびれのせいで、いつも落ちこぼれでした。
大田浩
昭和33年
熊本県牛深市深海町(当時)生まれ
みかん農家なのに、みかんの味が分かりません。
村上文枝
昭和5年生まれ
昭和24年~鹿児島県大口市(当時)在住
何も知らずに水俣の汚染された魚を売り続けました。
ノーモア・ミナマタ訴訟の原告たち
すでに勝利和解によって救済を受けた水俣病被害者の方ですが、ノーモア・ミナマタ訴訟において、実際に法廷で訴えた内容です。
大石利生
原告団長(当時)
昭和15年
熊本県葦北郡水俣町八の窪(当時)生まれ
ガラスの破片が足を突き抜けても全く痛みを感じませんでした。
野口政造
昭和5年
熊本県天草郡樋島村(当時)生まれ
水俣病に苦しむ島の人の苦しみに気づけないまま、「水俣病隠し」に加担してしまいました。
